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■ 特集 : 姫路市営モノレール跡探訪
■探訪日 :平成18年10月15日(日) |
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■目的 :姫路市営モノレール廃線跡を辿り、当時の面影を追ってみる。 |
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■概要 : 以前から 気になっていた姫路モノレールの存在。ウチが生まれる前に誕生し休止、廃止されてしまった。 どんな所を通り、どんな眺めの乗り物だったのだろうかと想像が膨らむ。 そんなこんな思っていた所、たまたま兵庫方面に行くことがあったので探訪時間を確保。 路線距離僅か1.8km、また各所にまだ跡が残っているらしかったので、廃線跡を辿ってみることにした。 |
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■姫路市営モノレール データ :
1966年5月17日、開業 1974年4月11日、休止 1979年1月26日、廃止
営業距離 :約1.8km システム :跨座式モノレール (ロッキード式) 駅数 :3駅。 姫路駅、大将軍駅、手柄山駅
営業車両数:4両 100型 … 片運転台式(2両) 200型 … 両運転台式(2両) その他にモーターカーが1両 |
姫路駅 - 大将軍駅間に掲示されていた高尾町住居案内 モノレールが現役当時に作成されたものだろうか、 姫路市営モノレール路線が記載されている。 |
※このページの内容は、平成18年10月15日現在のものです。
【メモ】
姫路駅跡
かつてのモノレール姫路駅方面を眺める |
姫路モノレールは、何でも瀬戸内海や鳥取方面まで延伸する という、今ではとても考えられない壮大な構想をもとにして誕生 するこになった、期待するべき未来の交通機関だったらしい。
といっても、当時から問題視する声も… そんな中、昭和41年の姫路城修復に合わせて開催されること となる「姫路大博覧会」が行われる手柄山への交通機関とて、 バス以上鉄道以下の中量輸送機関の位置付けとして、 とりあえず作ってしまえと言う感じ(まさに公共事業)で建設。
建設を急いだのか将来延伸を計画してか、姫路駅は仮駅として 現在の神姫バスターミナルや山陽百貨店新館辺りに開設。 質素な改札、非常階段的なホームへの階段、一面式のホーム などとまさに仮設だった様だ。
現在、モノレール姫路駅があったという跡は見当たらない。
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今も残る支柱と軌道 (姫路〜大将軍 間)
左:T字形に残された支柱と軌道 右:山陽電車 車内より大将軍方面を望む
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モノレール姫路駅跡から大将軍方面に歩いてみる。 姫路駅跡を出ると、周辺は住宅と商店で構成される地域で、 たぶん当時から区割りなどはあまり変わっていないと想像 される。
そして、次の駅である大将軍駅へ近づくにつれて、かつての モノレール支柱や軌道跡が次々と現れる。
それは、住宅や商店の建家や地域からにょきっと生えている 感じの支柱。山陽電気鉄道本線を越えるためか、とても高い 支柱が伸びている箇所もある。
まだいますよ〜とは言わないまでも、今でも静かに佇んでいた。
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大将軍駅跡
左:大将軍駅全景 (姫路方面より) 右:大将軍駅、姫路側
左:大将軍駅、手柄山側 右:大将軍駅、姫路側支柱での修景テスト案内 |
姫路市営モノレールの特筆すべき遺構の一つが、 この大将軍駅跡。
先の仮設だったと言う姫路駅の話と比べても分かる通り、 こちらは完全な恒久施設。なにせ駅の上には高層住宅。 軌道とホームは、この建物の3〜4階を吹き抜けにして 設置されている。また駅名も大将軍ってのが凄い。 大将軍は、この周辺の古い地名らしい。
どういう経緯でこの様な駅ができたのかは不明だが、 当時として、また現在に至っても大変珍しい建築物。 発想は、大変先進的と思われる。が、少し早すぎたか… 公共交通と地域再開発の一環で、もしもモノレールが延伸 されていたら、姫路にはこのような建築物がもっと建てられた のであろうか。
また気になる点としては、この建物若干弧を描いて 建てられている。手柄山方面に軌道を曲げなければいけない という理由からだろうか。はたまた別の意図からか…
現在、駅の上部は、UR都市機構高尾アパートとして現役。 低層階やモノレール廃線後の駅舎スペースなどを利用して ビジネスホテル「ホテルニューキャッスル」が営業していたらしい が、現在は廃業。なんとなくひっそりとしている。 姫路側は、軌道が残っているが、手柄山側は途切れている。
大将軍駅姫路側の支柱では、姫路市の橋脚修景テストが 行われていた。どうやら、支柱をネットで囲い、そこに蔓系 植物を這わせて緑化を試みているらしい。
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今も残る支柱と軌道 (大将軍〜手柄山 間)
左:大将軍を出てすぐのカーブ 支柱や軌道にツタが絡まり、時が止まっている
右:新幹線高架とのクロス地点 新幹線とのスレスレ交差は見物 |
モノレールは、大将軍駅を出ると大きく手柄山方面へと カーブし、舟場川に沿って進む。モノレールの軌道とは川を 挟んで煉瓦造りの立派な山陽色素の工場が見られる。 モノレール現役当時からあったそうで、モノレールに乗って いたら、見下ろす形でこの煉瓦の建物はどんな景色として 見えたのだろうか。
川沿いを進むと、新幹線高架にぶつかる。さらにかつては、 その先の地上に在来線も走っており、モノレール軌道は、 それぞれに対して建築限界で敷設されたらしい。 現在もかろうじて新幹線とのクロス部分の軌道が残っている。 確かにギリギリか… 乗っていたら遊園地の乗り物並にどきどきしたかもしれない。
新幹線とのクロス地点以降、手柄山方面の支柱や軌道は、 き電線落下事故や再開発のために撤去されている。
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手柄山駅跡
左:手柄山駅 大将軍側 右:手柄山駅 コンコースへの階段
左:手柄山駅 引き上げ線跡地 右:手柄山駅 本線(ホーム)・検修場の入口
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かつてモノレールが通っていた手柄山の麓には、 現在姫路市文化センターが建っている。 当時は、この施設の駐車場となっている付近を通り、 手柄山に築かれた煉瓦造りの駅舎に吸い込まれていた様だ。
山に寄り添う感じで建てられている手柄山駅舎(ビル)は、 煉瓦で造られた外観をしており、西洋の物語で出てきそうな 城や要塞を思わせる風貌を漂わせている。 現在は、煉瓦が蔦に包まれ、モノレールの出入口付近には 丁度の感じで木が伸びてきている。 山の上にある事もあいまって、まるで天空の城の容貌だ。
手柄山に登ってみる。 駅舎への出入口は、山頂と一階下の水族館側にもあった様だ。 現在、山頂部にあった手柄山駅舎は残っていない。 跡地は、新たに緑の相談所が建てられ、一部は駐車場となって いる。しかし、まだ残っている駅舎ビルの内、幾つかのフロアは 利用されている模様。
緑の相談所前にある、下層階への階段。 どうやらこの階段は当時のままとの事。 確かに、古い駅おなじみの黒ゴム滑り止めの付いたコンクリート 階段だ。下るとそこは改札だったとのこと。 現在は、小さなイベント会場などとして使われている様だ。
姫路駅方面と反対側、現在は広い洋風庭園となっている。 しかし、かつてここにはモノレールの引き上げ線があり、 本線と検修場線用の分岐機が設置されていたとの事。 しかも、採用した方式がロッキード式だったため、この分岐機は 世界に一つ、ここにしか存在しなかった装置らしい。 現在、分岐機は撤去され、軌道があったと示す跡として、 2つのかまぼこ形状の網で塞がれた、ホーム側本線と検修場 の軌道出入口が残されている。しかし、蔦が絡まり、その跡は だんだんと見づらくなって時と共に埋もれた存在となっている。
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手柄山から姫路市街を眺め
かつてモノレールが走っていた街 |
今回は、姫路市営モノレールと言う夢の跡を辿ってみた。
色々と調べてみると、この姫路市営モノレールは、 公共政策面では数々の先進的取り組みがされている。 その点は大変評価できるのだが、如何せん営業距離が短く、 終点も観光地だった点が災いとなり、 博覧会後の利用は少なく、不利な条件で苦戦した様だ。 さらに日立アルヴェーグ式が跨座式モノレールの日本標準と なる流れとなり日本ロッキード社が解散。 その後、新システム故に部品の特注などに維持費がかさみ、 必然的に廃線へと追い込まれた様だ。 取り組む時代が早すぎたのだろうか…
今でもモノレールと聞くと、電車と違い何だか分からないが ワクワクする感じがする。遊園地の乗り物と似たり寄っている からであろうか? そんなものがウチの生まれる以前に造られ、そして無くなって しまったとは、知ってからは気になって仕方がなかった。
機会を得てモノレール跡を辿ってみると、既に四半世紀以上 が過ぎているにもかかわらず、確かにモノレールが存在した ことを示す証が街のあちらこちらに垣間見えた。 色々な事情があるにせよ、これらの施設が未だに存在している ことは、今となっては貴重な財産になりうるのではないかと 思って仕方がない。老朽化で現状は危険と思われるが、 手入れをしてあげれば、まだ何かに活かせるのではないか?
手柄山駅構内には、当時の車両達がひっそりと眠っている らしい。ホームも当時のまま残されているとか… なんだか、東京地下鉄の旧新橋駅的な感覚であるが、 是非とも大切に今後とも残していってもらいたい。
しかし、この姫路市営モノレール、思惑通り事が進んでいたら、 今頃姫路の街にはどんな景色が広がっていたのだろうか?
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