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【概要】
■ 特集 : 田野浦公共臨港鉄道 休止線探訪
■探訪日 :平成19年5月27日、平成21年8月22日 |
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■目的 :田野浦公共臨港鉄道休止線跡を辿る |
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■概要 :門司港レトロに誘われて、何度か訪れている地域。 2010年現在では、お洒落な観光スポットとなっている。 そんな場所だが、かつてここには、 門司港駅から先、鹿児島本線の貨物支線を通り、田野浦埠頭にあった田野浦駅までを結ぶ 田野浦公共臨港鉄道と言う貨物線があった。 当初は、門司港周辺散策の為に歩いたのが、同時に田野浦公共臨港鉄道の痕跡も辿ることになったのと、 2009年には、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線乗車ついでに再訪しているので、少しだけ資料をまとめておく。 |
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■田野浦公共臨港鉄道 データ :
区間 外浜駅 - 田野浦駅 営業距離 :約3.6km
昭和4年(1929年)2月13日 門司築港(1943年12月に門築土地鉄道に改称)が 門司 - 門築大久保 間を開業
昭和4年(1930年)4月1日 外浜駅開業 門司から外浜間が国鉄鹿児島本線貨物支線となる
昭和35年(1960)4月15日 門築土地鉄道線 廃止 市営田野浦公共臨港鉄道となる
平成11年(1999)5月27日 田野浦公共臨港鉄道が外浜駅の側線として認可
平成17年(2005)10月1日 全線営業休止
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閉ざされた和布刈トンネル |
※このページの内容は、探訪日に記載した日付現在のものです。
【メモ】
JR貨物 外浜駅跡 |
2007年。 人々で賑わう門司港駅前。
そんな駅前から程近い場所、 九州鉄道記念館との間に、 門司港駅を通り越して延びている単線の路線と、 使われなくなった踏切が横たわっている。
この線路が鹿児島本線の貨物支線。 約0.9km先の外浜駅(貨物専用駅)まで続いている。
さらに外浜駅から先、約3.6kmにわたり続く貨物線が 今回の田野浦公共臨港鉄道線。 休止当時は、外浜駅の側線扱いとなっていた。
なんでも、1987年に施行された鉄道事業法に対する 手続きミスがあり、12年間程誰も気が付かずに無免許営業。 観光線として事業が持ち上がり、調査が行われた際に発覚し、 1999年5月27日に全線を外浜駅の側線扱いとして 無免許営業を免れたと言うことらしい。
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外浜駅構内 門司港方面を望む |
門司港駅から外浜駅付近は、 門司港レトロ地区の中心街となっており、人々も多い。
そんなこともあってか、 金網に囲まれた鹿児島本線貨物支線は、 敷地内を雑草に覆われはいるものの、 直ぐにでも列車が来そうな雰囲気も漂わせている。
門司港駅から歩くこと約10分で外浜駅に到着。 と言っても、小さな貨物駅で、ホームなどはない。 末期は信号所的な役割をしていた様だ。
外浜駅構内は、 本線と駅舎側に側線の2本となっていた。 しかし、側線とのポイントは撤去されたらしく、 実質本線スルーの状態になっている。
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小さな橋梁 |
外浜駅から先が田野浦公共臨港鉄道線。
出発すると、すぐに小さな橋梁を通過する。 見た目には、綺麗に残っている。 そのまま使えそうな状態だ。
この橋梁は、港の入り江にかかったもので、 入り江も橋梁の数メートル先で途切れている。
線路は、湾沿いにゆるいカーブを描きながら 和布刈方面に向かっていく。
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和布刈トンネル 門司港駅側 |
線路を辿ると、福岡県道の261号線と交差し、 標高175mの古城山を突き抜けるトンネルが現れる。
踏切内の線路は撤去されておらず、 復活の予感を漂わせている。
古城山に掘られたトンネルは、 和布刈トンネルと言うらしく、 出入口は金網で封鎖されていた。
と、ここまでが2007年に訪問した箇所。
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これ以降は、2009年の資料
雨ヶ窪駅 (信号所) 跡 |
ここから先は、2009年に再訪した際に訪れてみた。 この時、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線は開通しており、 関門海峡めかり駅までは、同線に乗車して来た。
さて、 和布刈トンネルで古城山と突っ切ると、 線路は山裾を回り込むように進む。
トンネルから200m位先、関門海峡めかり駅を通り越すと やや広い場所が現れ、線路が複数に分岐している。
ここがどうやら雨ヶ窪駅(信号所)跡の様だ。 駅か信号所だったのかは、資料が見つからずに不明。
線路はしっかり残っているものの、 結構背の高い雑草も生い茂っている。
この付近、線路の向かい側はコンビナートになっている。
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瀬戸町車庫 |
雨ヶ窪を過ぎてさらに2〜300m進むと、 線路上にぽつりとシャッターの降りた 車庫らしき建家が現れた。
どうやら、この建家が、 門司港レトロ観光線開通に合わせて 新たに設置された瀬戸町車庫の様だ。
田野浦公共臨港鉄道時代は、 この付近が門築大久保駅だったと思われる。 車庫近くの踏切名も「大久保入口踏切」となっていた。
新しい車庫建家の後には、 ボロボロながら鉄骨とトタンでできた建家が残っていた。 相当風雨にさらされたのだろうか、トタンが剥がれて 結構無惨な姿をさらしている。 どうも、こちらがかつて使われていた機関庫跡と思われる。
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農林水産省福岡食糧事務所門司政府倉庫跡 左が政府倉庫専用線、右が本線 |
瀬戸町車庫より先、さらに線路は延びている。
線路は、小さなガーダー橋を渡ると、 フェンスで仕切られた敷地内へと吸い込まれていく。
2本の線路が伸びており、左側には、 同じ形状をした倉庫群が整然と並んで建てられている。 どっしりとして古めかしく、圧巻な情景だ。
どうやら、 ここが農林水産省福岡食糧事務所門司政府倉庫跡の様だ。 左の倉庫側が政府専用線、 右が本線として田野浦駅まで続いていたのだろう。
倉庫敷地内は、雑草達が勢いよく伸びている。 もう使われていない哀愁感が漂っていた。
現地訪問は、このフェンスまで到達した時点で、 予定していた時間となり撤収と相成った。
後日、調べてみると、 線路はこの先、政府倉庫前を通り抜けて 田野浦埠頭にあった田野浦駅まで伸びていた。 田野浦駅で伊藤忠飼料門司工場や 三井鉱山セメント門司仕上工場専用線へ分岐していた様だ。
昨今、鉄道貨物も見直される中、 この様な港湾系貨物線も徐々に復活してくれると なんだか嬉しいのだが。 そんな時代が再び来て欲しいと願いたい。
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