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概要

■ 特集 : 紀州鉄道廃線区間探訪

■探訪日 :平成20年9月27日(土)

■目的 :紀州鉄道線 西御坊 - 日高川 廃線区間の現状を探訪

■概要 : 機会があり訪れた紀州鉄道。御坊から西御坊へ至る約2.7kmの短い路線を完乗。

現在は終着駅となっている西御坊駅からは、かつて路線がさらに先に延びていたとのこと。

そして、現在も日高川河口の港湾整備が進んだ際に復活を目論んでいるらしく、

廃線跡には設備が比較的多く残されているらしい。

御坊の町並も見ながら、廃線跡を辿ってみることにする。

■紀州鉄道線 廃線区間 データ :

 

廃線区間

西御坊駅 - 日の出紡績駅 - 日高川駅

 

昭和9年 (1934年)  8月10日、西御坊 - 日高川間開業

昭和16年 (1941年)12月8日、日の出紡績駅廃止

平成元年 (1989年)  4月1日、西御坊 - 日高川間廃止

 

営業距離 :約0.7km

 

この他、西御坊駅から大和紡績和歌山工場への

貨物専用引き込み線も存在した。

こちらの引き込み線は、1955年(昭和30年)に開通し、

昭和59年(1984年)に廃止されている。

西御坊駅 線路終端部

まだ先に線路があるものの、エンドレールと柵により

行く手は阻まれている。

※このページの内容は、探訪日に記載した日付現在のものです。

 

 

メモ

 

西御坊駅を出発して直ぐそばにある橋梁跡

 

紀州鉄道線を完乗後

西御坊駅から日高川駅へ向かって廃線跡を辿る。

その距離は、僅か約0.7km。

 

廃線区間の始点となる西御坊駅も、

かつては中間駅と言うこともあってか、1面1線の単式ホーム。

ホーム長もぎりぎり車両1両分のみ。

現在は終着駅となっているが、趣としての終着駅感はなく、

突然線路が途絶えてしまっている感覚になる。

 

西御坊駅の日高川側は、線路終端と言うことで、

エンドレール(第二種車止め)と木柵で囲われている。

 

しかし、未だその先にも線路が残っている。

この跡を辿って行く。

 

西御坊駅を出てすぐの場所には、川幅のさして広くはない

川が流れている。川の両岸に線路はあるものの、

川に架かっていた橋梁はすでに撤去されていた。

線路周辺に柵などは無く、川岸でバツンと切ってある感じだ。

 

西御坊駅寄りの廃線区間

 

川を渡った後、線路跡は住宅街を縫うように走っていく

左右にカーブしながら、家々の軒先をかすめるように

走る場所もあったようだ。

 

道路との交差部は、線路上にアスファルトをかぶせてある。

現在も殆どの箇所で線路が残っていた。

道路交差部などには、一応進入禁止の立て札と柵がある。

 

廃線区間の一部では、

地域住民に有効活用されている場所もちらほら見かけられた。

また、線路上を夏草達が覆い、線路跡が隠されてしまっている

所も見かけられる。

もう、再復活の野望に向かうよりか、

自然に還ろうとしている雰囲気が垣間見える。

 

日の出紡績工場跡の煉瓦塀

 

廃線区間には、戦前まで「日の出紡績」と言う途中駅があった。

当時駅の近くには、駅名の元ともなった日の出紡績株式会社

があり、工場への乗降客で結構賑わった様である。

 

現在、日の出紡績駅跡を偲ぶ痕跡は見当たらないが、

もしかしたら、駅があったのかと思われる道路と交差する

開けたスペースが残っていたりはした。

 

既に日の出紡績の工場自体もなくなっているが、

工場敷地跡には、工場を囲っていた煉瓦塀が今もその痕跡

として佇んでいる。結構な長さがあり、当時の工場の大きさや

繁栄振りを感じさせる。

煉瓦塀もイギリス積み(もしかしたらオランダ積み)で

とても綺麗な状態で残っている。

今後もどうにか保存していてってもらいたい。

 

日高川駅構内付近の踏切警報機

 

日の出紡績の煉瓦塀から再び線路沿いに戻る。

付近は相変わらず住宅街となっている。

 

しばらく線路沿いを辿って歩いていくと、

また開けた場所が現れる。

 

ここには、遠目にはまだ現役にすら感じる踏切警報機が

残っていた。以外と立派な警報機だ。

警報機の下には、使用中止の看板が付いている。

 

どうやら、この踏切から日高川駅構内になるようだ。

踏切線路跡は、やはりアスファルトがかぶさっているだけの

舗装になっているようだ。 

 

踏切を過ぎると分岐機があった形跡がある。

まず2線に分岐。

内1線は、駅舎ホーム寄りに向かいながらさらに2線に分岐。

ホーム跡から考えて、相対式2面2線だった様だ。

しかし、残りの線もホームに向かって真っ直ぐ伸びており、

ホームにぶつかる形で小さな水路を渡る橋跡も残っている

ことを考えると、当初と末期では駅構内の構造が変わっていた

のかもしれないなどと、色々考えが巡ってしまう。

 

 

日高川駅 駅舎内からホームを望む

 

線路は、ホームに至るまでしっかり残っている状態。

しかし、長年そのままにしてあるため風化が進んでおり、

線路の繋ぎ目など完全にずれている箇所も見受けられる。

 

日高川駅ホーム跡は、

外枠に関しては未だにしっかり残っていた。

しかし、ホーム上は夏草に覆われおり、線路と逆側から

みたら、一体何なのかは想像し難いかもしれない。

 

駅舎があったと思われる跡も、

基礎が残っているので、なんとなく大きさなども想像できる。

 

駅舎に入り、改札を通ってホームへの段差を乗り越え、

列車が来るの待っていた、と言うような当時の雰囲気を、

その場に立って感じることができる。

 

日高川駅 ホームから西御坊方面を望む

 

戦前の昭和3年(1928年)、地元の有志により設立された

御坊臨港鉄道により開業した路線。

今回、探訪した廃線区間は、昭和9年(1934年)に開業した

区間で、その歴史は結構古い。

 

路線は、平坦な市街地を走り、時には軒先をかすめるような

場所を走っていた様だ。開通当時からこの様な状況だったのか

は分からないが、末期には宅地化されて、現在の様な風景の

中を走っていたと想像された。

 

臨港と呼称していたくらいに港とは密接な関係にあった鉄道で、

特に廃線区間には紡績工場なども建ち並び、

貨物輸送が主体の路線だった様だ。

当時は、原綿が紡績工場まで貨物輸送され、御坊の山で

切り出された木材を日高川駅まで運び船に載せ替えていた

様だ。逆に港からは紙やチップなどを各地に運んだらしい。

 

しかし、国鉄の合理化で紀勢西線の貨物輸送廃止のあおりを

受けてしまい、貨物輸送廃止せざるをえなくなったとの事。

その後、今回探訪した廃止区間は段々と衰退。

末期は、列車本数も旅客も少なかった様だ。

 

今現在、日高川駅跡まで土地やレールが残っているが、

はたして復活の日が来るのであろうか。

日本一短い私鉄の今後が期待される。

 

【メモ】

2008年現在、芝山鉄道の方が短い路線を保有しているが、

こちらは、大手と相互乗り入れしたり延伸計画がはっきり

している計画線なので、実質日本一は歴史ある紀州鉄道に

軍配が上がると思われる。

 

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