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■ 特集 : 有田鉄道廃線跡探訪
■探訪日 :平成20年9月27日(土) |
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■目的 :有田鉄道の廃線跡を探訪 |
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■概要 : 平成15年に廃止になった有田鉄道。 比較的最近まで走っていた様だが、現役時代の姿を直接見ることは叶わなかった。 |
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■有田鉄道線 データ :
区間 海岸駅 - 湯浅駅 - 吉川駅 - 藤並駅 - 明王寺駅 - 田殿口駅 - 下津野駅 - 御霊駅 - 金谷口駅
大正2年 (1913年) 2月17日、会社設立 大正4年 (1915年) 5月28日、海岸 - 下野津間開業 大正5年 (1916年) 7月 1日、下野津 - 金谷口間開業 昭和19年(1944年) 12月10日、海岸 - 藤並間休止 昭和34年(1959年) 4月3日、海岸 - 藤並間廃止 平成15年 (2003年) 1月1日、藤並 - 金谷口間廃止
営業距離 :約9.1km (最盛期の海岸 - 金谷口間)
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昭和五年 有田鉄道沿線案内図 金谷口駅 駅舎跡に掲示されていた |
※このページの内容は、探訪日に記載した日付現在のものです。
【メモ】
有田鉄道バス JR藤並駅前にて |
有田鉄道は、有田特産のみかんや木材を積出港となる 湯浅まで輸送する目的で設立された鉄道路線という 背景をもっている。
その湯浅の積出港近くに設置されたのが海岸駅。 海岸駅から湯浅駅を通り、吉川駅、藤並駅と線路は続いて いた様だが、現在その跡地は、道路や紀勢本線複線化用地 として活用されているらしく、廃線跡は見当たらないとの事。
そこで、今回は時間の都合もあり藤並 - 金谷口間を探訪。
藤並から順に辿っていくつもりで行程を検討してみたが、 実際にどの程度探訪に時間が必要か見積もることができず、 また、有田鉄道線の代替バス路線もそんなに本数が多く無い 様なので、遅くなると金谷口から戻ってくる手段を失いかねない と考え、探訪を金谷口側から開始して藤並駅に戻ると言う 行程で実施した。
ということで、藤並駅からは有田鉄道バスに揺られて 金谷口を目指す。
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金谷口駅 駅舎跡 |
藤並駅から乗車した有田鉄道バスは、 ほぼ有田鉄道線跡を併走している和歌山県道22号吉備金屋線 を進み、約30程で金谷口に到着した。
到着した金谷口バス停は、有田鉄道バスの車庫も兼ねている らしく、結構広いスペースであった。 バス停とスペースを挟んで向かい側に建家があり、 平屋の方は、タクシーの待機所・配車センター、 2階建て建家が有田鉄道株式会社の本社社屋だと分かった。
本社と向かい合わせにして「オークワ吉備店」と言う南近畿で 展開しているスーパーの看板を見かけたが、店舗に人影が 見られない。どうやら閉店してしまったらしい。 正直、バス停付近も含めて少々寂しい雰囲気だ。
気を取り直して、本社横にあったという金谷口駅へ。 そして、今もその姿を留めているのを確認。 駅前は、地面をコンクリートで舗装し直したらしく、まだ綺麗だ。 駅舎内にはタクシーがいた。どうやら屋根もあることから、 タクシーの車庫として利用されているらしい。
駅舎内を眺めてみると、窓口跡や出札口など当時の雰囲気が 幾ばくか残っている。
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金谷口駅 ホーム跡 |
駅の横には有田川が流れており、 土手道からホームを一望できた。
1面1線の単式ホームで、駅名標や線路も残っていた。 だいぶほこりっぽくなっており、廃止からの時の経過が感じ らえれたが、当時の面影が偲ばれる。
土手道を線路沿いにあるいて行くと、 検修庫や車庫も残っていた。 そして、たまたま保存されている貨車の整備をしている方々が いらっしゃったので、一部見学をさせて頂くことができた。
とうやら、現在保存されている車両などを整備して、 将来的には一般に公開する鉄道公園的な場所となる様だ。 今後に期待したい。
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御霊駅跡 ホーム駅舎共に健在
御霊駅駅舎に直接書かれている駅名標 |
金谷口駅構内見学をした後、少し遅めの昼食でもと思い、 駅周辺を一回りして食堂などを探してみたものの見つからない。
少々腹ぺこだったが、非常用に持ち歩いていたパンでしのぎ、 廃線跡を辿って藤並方面に向かうことにする。
金谷口駅構内を出ると単線となったようだ。 現在は、この単線区間から線路跡が舗装整備されており、 線路跡は遊歩道、その横には公園も整備されていた。
しばらく歩くと踏切跡に。 踏切跡には、線路が残っていたものの、 工事立て看板も立て掛けてあったので、撤去される日も 近いかもしれない。立て看板があった柱には、当時の列車 踏切通過時間がかかれた板が残されていた。
この先、線路跡を舗装整備中で、舗装された完成区間と 未舗装の工事区間とが入り組んでいた。
工事区間で進入不可能な場所は迂回しながら線路沿いを 進み、隣りの御霊駅に到着する。
御霊駅線路跡は完全に整備されており、広く歩きやすい道に 生まれ変わっていた。 そんな道の横に突然木々が生い茂った箇所が現れる。 よく見ると石垣上に生えており、この石垣がホーム跡と分かる。 木々に隠れて駅舎や確認ミラーも垣間見えた。 当時のまま残っている感じで、 駅舎に直接書かれた駅名標が斬新だ。 以外にホームが長いことも確認できる。 駅舎の窓ガラスなどは割れていたりして整備はされていない。
どうにか、風化解体せずに記念物として保存の方向で 検討して頂きたい。
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御霊 - 下野津間の橋梁跡 |
御霊駅から次の下野津駅方面へ向かう。 この区間も線路跡の遊歩道化整備が進められていた。
途中に小さな川があり、橋梁があった場所も 遊歩道整備が進められている最中らしく、未舗装ながら 街灯などは準備されていた。 橋梁下に道が通っていたので、回り込んで見てみると、 石積の橋桁はそのままま転用されていることを確認できた。
この先、線路跡の整備区間は工事中断中なのか、未舗装 ながら平坦になっているものの、夏草が生い茂り、進入を 阻まれてしまったので、迂回しながら進む。
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下野津駅跡 |
鳥尾川沿いの夏草に覆われた土手道を進んでいくと、 川を挟んで対岸に有田中央高等学校の校舎が見えてきた。
よく見てみると校舎付近の線路跡には小型シャベルが数台 止まっているのが確認できた。
急いで橋を探して川を渡り現場に向かうと、工事立て看板が。 「鉄道プロムナード(下野津駅)附帯工事」とあり、 やはり下野津駅跡だったと確認できた。
残念ながら一帯は解体工事中。 ホームも瓦礫の山と化していた。 駅舎の姿は既に無く、辛うじてホーム上にあったと思われる 屋根の骨組みだけがその跡を留めていた。
下野津駅はその姿を消しつつあった。 屋根の骨組みが無くなったら、ここに駅があったと分かる痕跡は 無くなってしまうだろうと思われた。
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田殿口駅跡 |
下野津駅を後にして次の田殿口駅を目指す。 途中区間は、廃線跡を挟んで大規模な工事区間があり 迂回しながら進む事になった。
周辺はみかん果樹園となっており、 時々果樹園を縫うように通っている道を進む。
再び廃線跡に戻ると、丁度田殿口駅のホーム跡を発見した。 線路跡は未舗装ながら平坦に整備され、雨溝も完成段階と なっていたが、ホームと駅舎は壊されずに残されていた。
しかし、ホームは放置されているらしく、木々が生い茂り、 完全に自然へと還ろうとしていた。 駅舎も荒れており、コンクリートの外壁が残っているだけの状態 と言うべきだろうか。
駅舎を正面から見るべく回り込むと、 真正面は、阪和自動車道有田川橋工事事務所となっており、 完全に塞がれていた。
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田殿口 - 明王寺間の橋梁跡 |
田殿口駅跡から明王寺駅方面へ向かう。 途中、またもや夏草封鎖により線路跡を辿ることはできず。 各所ともに舗装はされていないものの平坦化されているので、 歩きやすくはなっているのだが、自然の生命力は侮れない。
迂回しながら線路跡を進む。 丁度阪和自動車の工事区間と線路跡がかぶっている区間と なっており、自動車道の工事は休日にもかかわらず、 盛んに工事が行われていた。
線路踏切跡などにも警備員が立っており、 キョロキョロしながら歩いているウチは、 かなり怪しい人物に見られていたことだろう。
阪和自動車道と線路跡が交差する付近には、 短い川が流れており、橋梁も撤去されずに残されているのを 確認できた。
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有田鉄道 藤並駅ホーム跡 |
田殿口駅と藤並駅間には、明王寺駅が設置されていたとの ことだが、現在その区間は完全に遊歩道として整備が完了 しており、残念ながら痕跡を見出すことが出来なかった。 遊歩道がとても綺麗に整備されているので、 併せて、跡地を示す標識など訪問者向けに掲示して頂くと 観光にも効果的ではないかと思う所だ。
遊歩道を暫く歩くと紀勢本線と平行して進む様になる。 遠目に藤並駅の橋上駅舎が見えてくる。
程なくして藤並駅に到着。 線路跡は遊歩道として舗装されているが、JR藤並駅ホームに 平行して有田鉄道ホームも残されていた。
JR駅舎が橋上となり、駅周辺も整備が進む中、 有田鉄道ホームはまったく整備はされておらず、 ホームは草で覆われている。かつては、JRホームとの 連絡改札だったと思われる小屋は残っていたものの、 こちらも整備などはされずに放置状態だ。 暫くすると、この有田鉄道藤並駅跡も周辺整備の一環で その姿を消してしまうかもしれない。
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有田鉄道 連絡改札跡 (JRホームより望む) |
今回は、平成15年と比較的最近廃線になってしまった 有田鉄道跡を辿ってみた。
廃線からさほど時がたっているわけではなく、 また、有田鉄道が設備の撤去費用を払えなかったと言った 事情から、まだホームなどの痕跡を見かけることができた。
線路跡は、遊歩道として生まれ変わろうとしている。 以外と平坦な道のりの中、沿線にはみかん果樹園が広がって おり、遊歩道完成の折りには、なかなか気持ちの良いルートに なるだろう。
また、金屋口駅跡には車両も残されており、 将来的には鉄道公園的な施設にしようと計画されている様だ。
今後、残された有田鉄道の遺産がどうなってゆくかが 非常に気になる所だが、なるべくなら保存する方向で 検討してもらいたいものだ。
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